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浦和地方裁判所 平成3年(行ウ)16号 判決

浦和市東高砂町三番五号

原告

協和不動産株式会社

右代表者代表取締役

岡村邦枝

右訴訟代理人弁護士

常木茂

同市常磐四丁目一一番一九号

被告

浦和税務署長 永田四郎

右指定代理人

小池晴彦

田部井敏雄

川名克也

高橋伯吉

武内信義

佐野友幸

瀧正弘

宮澤文雄

宮嵜弘

仲村勝彰

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

被告が昭和六三年一〇月三一日付けでした原告の昭和六一年一二月一日から昭和六二年一一月三〇日までの事業年度分の法人税の更正処分及び重加算税賦課処分(ただし、後者は平成元年一二月二六日付け決定により変更された後のもの)を取り消す。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は不動産の売買、賃貸借及び代理媒介等を業とする株式会社である。

2  原告は、昭和六一年一二月一日から昭和六二年一一月三〇日までの事業年度(以下、「本件事業年度」という。)分の法人税について、青色申告書以外の申告書(以下、「本件確定申告書」という。)によって、その法定申告期間内に、次のとおり確定申告をした。

所得金額 欠損八九四二万八一三三円

法人税額 〇円

3  これに対し、被告は昭和六三年一〇月三一日付けで次のとおり更正並びに無申告加算税及び重加算税の賦課決定(以下、更正決定を「本件更正処分」、重加算税賦課決定を「本件賦課決定処分」、両者を合わせて「本件課税処分」という。)をした。

所得金額 一億九五一一万一八七六円

法人税額 八〇九八万六六〇〇円

無申告加算税額 一一五万〇五〇〇円

重加算税額 二九三二万円

4  原告は、昭和六三年一二月二八日、被告に対し右各処分についての異議申立をしたところ、被告は平成元年六月一日付けで異議申立を棄却する決定をした。

5  そこで、原告は、平成元年六月二八日、国税不服審判所長に対し審査請求をした。

6  被告は平成元年一二月二六日付けで無申告加算税を過少申告加算税一一二万五五〇〇円へ、重加算税額を二五六五万五〇〇〇円へそれぞれ変更する決定をした。

7  原告は、平成二年二月九日、右6の過少申告加算税賦課決定につき、被告に対し異議申立をしたところ、被告は、平成二年二月二二日、異議申立書を国税不服審判所長に送付した。この異議申立は審査請求とみなされ、右5の審査請求と併合審査された。

8  国税不服審判所長は、平成三年六月一〇日付けで、本件更正処分及び平成元年一二月二六日付けで変更された昭和六三年一〇月三一日付け加算税賦課決定についての審査請求を棄却し、平成元年一二月二六日付け加算税賦課決定についての審査請求を却下する裁決をした。

9  原告は、同年七月三日ころ、右裁決の裁決書謄本を受領して、右裁決を知った。

10  本件課税処分(ただし、本件賦課決定処分は平成元年一二月二六日付けで変更された後のもの)は、その内容に瑕疵があり、違法である。

11  よって、原告は被告に対し、本件課税処分(ただし、本件賦課決定処分は平成元年一二月二六日付けで変更された後のもの)の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は知らない。

2  同2ないし8の各事実は認める。

3  同9の事実は知らない。

4  同10の主張は争う。

三  抗弁

1  本件更正処分の根拠について

(一) 申告所得金額 欠損八九四二万八一三三円

右金額は、原告が被告に提出した本件確定申告書に記載されている所得金額である。

(二) 貸倒損失と認められないもの 一億七四五四万円

原告は、有限会社東和ハウス(以下、「東和ハウス」という。)に対して有していた貸金債権及びその利息債権(以下、「本件貸金債権等」という。)のうち一億七四五五万円が回収不能となったとして、右金額を本件事業年度における貸倒損失(以下、「本件貸倒損失」という。)として損金の額に算入した。

しかしながら、本件貸金債権等がそもそも存在しないから、本件貸倒損失も発生していない。したがって、右金額は損金の額に算入することができず、これを所得金額に加算すべきである。

(三) 支払手数料と認められないもの 一億一〇〇〇万円

原告は、星野夏男(以下、「星野」という。)に対し立退業務手数料として一億一〇〇〇万円(以下、「本件手数料」という。)を支払ったとして、右金額を損金に算入した。

しかしながら、星野が原告の事業に関与した事実はなく、原告が星野に対して本件手数料を支払った事実はない。したがって、本件手数料の支払は仮装であるから、右金額を損金の額に算入することはできず、これを所得金額に加算すべきである。

(四) 所得金額 一億九五一一万一八六七円

右金額は右(一)の金額に同(二)及び(三)の金額を加算して算出したものである。

2  本件更正処分の適法性について

本件更正処分に係る所得金額は一億九五一一万一九六七円であって、右1(四)の原告の所得金額と同額であり、したがってこれに対する法人税額は八〇九八万六六〇〇円であるから、本件更正処分は適法である。

3  本件賦課決定処分の根拠及び適法性について

原告は、そもそも存在しない本件貸金債権についてあたかも存在するかのごとく仮装して貸倒損失一億七四五四万円を計上し、これに基づき本件事業年度の確定申告書を提出したものである。したがって、本件重加算税の額は、本件更正処分により新たに納付すべき税額のうち右貸倒損失に係る部分の税額七三三〇万円(一万円未満の端数切り捨て後のもの)に一〇〇分の三五の割合を乗じた二五六五万五〇〇〇円であり、本件賦課決定処分(平成元年一二月二六日付けで変更された後のもの)は適法である。

四  抗弁に対する認否及び原告の主張

1  抗弁1のうち、(一)の事実は認める。

2  同1(二)の事実中、原告が本件貸金債権等のうち一億七四五五万円が回収不能となったとして、右金額を本件貸倒損失として損金の額に算入したことは認め、その余の事実は否認する。

3  同1(三)の事実中、原告が星野に対し本件手数料を支払ったとして、右金額を損金に算入したことは認め、その余の事実は否認する。

4  同2及び3の各事実は否認し、主張は争う。

5  原告の主張

被告が本件貸倒損失及び本件手数料の支払を仮装と認定したのは、事実誤認である。

(一) 本件貸倒損失について

原告は、左記のとおり、本件貸金債権等を有していたところ、本件貸倒損失を生じた。

(1) 昭和五六年六月六日貸付の七〇〇〇万円の債権(以下、「本件債権1」という。)

原告は、昭和五六年ころ、東和ハウスから一億五〇〇〇万円の融資の申込みを受けたので、武蔵野銀行西川口支店から五〇〇〇万円、有限会社亜細亜商事から二〇〇〇万円を借り入れたうえ、合計七〇〇〇万円を東和ハウスに貸し付け、また朝日商事株式会社(以下、「朝日商事」という。)も東和ハウスに八〇〇〇万円を貸し付けた。原告と朝日商事は、右貸金債権の担保として、東和ハウス所有の土地(栃木県鹿沼市上野町字中上野一三番二宅地三七三〇・〇七平方メートル、同所一三番四宅地二〇一・六五平方メートル、同所三五番一宅地二二四四・三六平方メートル)に、持分二分の一宛で抵当権の設定を受けだが、原告の知らないうちに松田弘に対して右抵当権の移転登記がなされたので、原告は昭和五七年に東京地方裁判所にその抹消登記手続を求める訴訟を提起した。そして、原告は、右訴訟事件において、昭和六一年三月二八日に東和ハウスに対する右債権を朝日商事に一三〇〇万円で譲渡したので、結局五七〇〇万円が回収不能となった。

(2) 昭和五六年七月二五日貸付の五〇〇〇万円の債権(以下、「本件債権2」という。)

原告は、そのころ武蔵野銀行西川口支店から借り入れたうえ、東和ハウスに五〇〇〇万円を貸し付け、東和ハウスから、譲渡担保としてその所有の土地(千葉県八千代市大和田新田字新木戸前八〇番宅地四四四・四平方メートル、以下、「八千代市の土地」という。)の所有権移転を受けた。尤も、東和ハウスは登記簿上所有者として記載されていないが、実質的には所有者であり、所有名義人をして譲渡担保として原告名義に変更させた。そして、右土地につき原告から金幸商事株式会社(以下、「金幸商事」という。)に対して所有権移転登記がなされているが、右登記は原告の知らないうちに行われたものであり、原告は右貸金を回収していない。

(3) 昭和五七年三月ころ貸付の一億円の債権(以下、「本件債権3」という。)

原告は、そのころ大堀商事有限会社、岡村安雄(以下、「安雄」という。)及び木下得二郎から各二〇〇〇万円、長島茂三郎から一五〇〇万円、高野秀信から七〇〇万円、大橋昭子、柳沢康雄及び望月正から各二〇〇万円、親戚知人から二〇〇万円、その他から一〇〇〇万円を借り入れ、これら金銭を数回に分けて東和ハウスの指定した銀行預金口座に振り込み、もって東和ハウスに対し無担保で一億円を貸し付けた。

(4) 昭和五七年三月九日貸付の二〇〇〇万円の債権(以下、「本件債権4」という。)

原告は、東和ハウスから株式会社北浜(以下、「北浜」という。)へ二〇〇〇万円を送金することを要請され、そこで東和ハウスとの間で、東和ハウスに対する貸付とすることに合意して、右同日北浜に二〇〇〇万円を送金した。なお、原告は、右送金にかかる金銭については、北浜に対する関係でも貸金とし、その債権につき、北浜代表者の父親吉田喜代志の所有の土地(埼玉県川口市東領家一丁目五番六宅地二九六・四三平方メートル、同所五番七宅地二九六・四三平方メートル、同所五番八田二九八平方メートル 以下、「川口市の土地」という。)に担保権の設定を受けた。しかし、右担保権の設定は、当時行方不明であった吉田喜代志に無断で北浜代表者がしたものであり、原告は吉田喜代志の財産管理人から右担保権の抹消手続請求訴訟を提起されて敗訴した。原告は、無資力の北浜からは右二〇〇〇万円を回収することができず、東和ハウスに対する貸金と認めることとした。

(5) 昭和五七年六月一七日計上の四五四万円の貸付金利息債権(以下、「本件債権5」という。)

本件債権1ないし5につき昭和五七年六月一七日までに発生した利息額である。

(6) 原告は、東和ハウスに対し右(1)ないし(5)のとおり合計二億三一五四万円の債権を有しており、右債権の弁済のために東和ハウスが振り出した左記約束手形(以下、「本件手形」という。)を所持していて、同約束手形を満期に支払場所に呈示したが、右約束手形は不渡りとなった。

金額 三億二四五四万円

満期 昭和五七年一一月二〇日

支払地 東京都千代田区

支払場所 東都信用組合番町支店

受取人 原告

振出日 昭和五七年六月一七日

振出地 東京都豊島区

(7) 以上のとおり、原告が東和ハウスに対して有していた合計二億三一五四万円の債権は回収不能となったので、本件事業年度において、これを貸倒損失とした。

(二) 原告の星野対する本件手数料の支払について

(1) 株式会社熊谷組(以下、「熊谷組」という。)は、昭和六一年一〇月二七日、浦和市東高砂町一九九番二(以下、同所の土地は各々地番のみで表示する。)所在の建物(家屋番号二〇〇番四の五、店舗兼居宅、床面積六四・六八平方メートル。以下、「本件建物」という。)を取得したが、鈴木節也(以下、「鈴木」という。)、鈴木を代表者とする有限会社リボン理容室、株式会社日邦(以下、「日邦」といい、鈴木、有限会社リボン理容室、日邦を合わせて「鈴木ら」という。)が本件建物を賃借していた。そこで、熊谷組は、昭和六二年六月一五日付けで原告及び株式会社大永(以下、「大永」という。)との間で、原告及び大永が、鈴木らから本件建物明渡しの承諾を得て、同人らが同年八月二〇日までに本件建物を完全に明け渡すようにする等の業務を請け負い、熊谷組が原告及び大永に対し報酬として五億三〇〇〇万円を支払うことを内容とする業務請負契約を締結した(以下、「本件業務請負契約」という。)。原告及び大永は、本件業務請負契約に基づき、熊谷組から、昭和六二年六月一五日に一億〇三〇〇万円、同年八月二〇日に四億二七〇〇万円の支払を受け、原告はそのうち二億一〇〇〇万円を取得し、大永は三億二〇〇〇万円を取得した。

(2) 原告は、星野に対し、本件手数料として、同年八月二一日に四三〇〇万円、同年九月二九日に六七〇〇万円を支払い、大永は東洋物療株式会社(以下、「東洋物療」という。)に対し一億一〇〇〇万円を支払った。その支払の理由は次のとおりである。

〈1〉 一九九番一ないし八及び同所二〇〇番一ないし四の土地(以下、一九九番四ないし八の土地を「本件北側土地」、その他の土地を「本件南側土地」といい、合わせて「本件各土地」という。)並びに本件各土地上の建物はもと寺田義光の所有であったところ、同人は昭和五〇年に死亡し、六名の相続人が同人を相続した。

〈2〉 一九九番四(昭和六〇年八月二日の分筆前)の土地上の建物の賃借人であった榎本辰蔵(以下、「榎本」という。)と一九九番五の土地上の建物の賃借人であった株式会社日進堂時計店(以下、「日進堂」という。)は、右各土地と建物を相続した長島静江からそれぞれ右各賃借建物とその敷地を買い受けたが、右各土地を売却することとし、原告は、昭和六〇年ころから、右両名のために買主を探していた。

〈3〉 他方、東洋物療の代表者室岡克己(以下、「室岡」という。)は三菱建設株式会社(以下、「三菱建設」という。)からビル用地買い受けの依頼を受けて、右各土地に担当者を案内し、三菱建設も投資物件としてその買い取りを検討し、かなり具体的に交渉が進められていた。

ところが、三好商事と日建ハウスの紹介で右各土地の買い手として岩崎米吉が現れ、日建ハウスと懇意であった日進堂の依頼により大永と東洋物療は手を引かざるをえなくなった。しかし、結局、大永が仲介人となって、右各土地と地上建物は右岩崎に売却された。

〈4〉 有限会社宮清(以下、「宮清」という。)は、一九九番三の土地、一九九番六の土地(後に一九九番八の土地と交換された。)、一九九番一の土地、二〇〇番一ないし四の各土地を取得した後、これを転売することとし、有利な買主を探していた。大永と東洋物療は、右各土地につき三菱建設との間に売買契約が進められるよう奔走したが、分筆前の一九九番及び二〇〇番の土地の中央に南北に存在した私道(以下、「本件私道」という。)の問題で宮清の取引を妨害したような結果となり、そのため宮清と不仲となったので、室岡と懇意な古金徳夫(以下、「古金」という。)に依頼して、宮清の担当者と接触させた。古金は、約一年にわたり宮清の担当者と接触し、宮清の取得した土地につき、価格等の条件が同じであれば、必ず古金に売却するとの約束をとりつけたが、宮清はこの約束を破り、昭和六一年一〇月、取得した土地をすべて熊谷組に売却した。

〈5〉 一方、星野は、その数年前から日邦の相談役として本件建物及びその敷地の問題について交渉の窓口のような立場にあったところ、原告の前代表者都築嘉弘(以下、「都築」という。)は、星野の同意を得て、昭和六一年五月五日ころから本件建物及びその敷地の問題に関与するようになっており、その関係から、大永と東洋物療は、鈴木ら、星野の了解を得て、同人らや原告と組み、本件建物についての鈴木らの立退補償の問題と宮清の右約束違反問題につき有利に事を運ぼうと計画した。星野は当初右計画に同意するのを渋ったが、その宅地建物取引業の許可が更新されていないこと等もあって自らは動きにくいことから、右許可を有する原告や大永と協力することとしたので、原告と大永は、鈴木らから本件建物の明渡交渉に関する委任状(以下、「本件委任状」という。)の交付を受けた。こうして、本来ならば本件建物の立退交渉に関与できる立場になかった原告と大永が、熊谷組との間で、右約束違反問題も考慮されて高額の報酬額が定められた業務請負契約と称する極めて異例な契約(本件業務請負契約)を締結し、本件建物の立退問題に関与することができるようになった。

〈6〉 また、星野及び東洋物療には本件建物の夜警に協力してもらった。

〈7〉 以上のとおり、原告と大永が関与できなかった筈の業務に参加できたのは、星野と鈴木らの了解があったからであり、また、鈴木らの立退補償問題の経緯に照らすと三菱建設への土地の売り込みに奔走した東洋物療の努力に報いる必要があり、本件建物の夜警にも協力して貰ったから、報酬の分配先から星野と東洋物療を除外することはできなかった。

五  原告の主張に対する被告の反論

1  本件貸倒損失について

(一) 本件貸金債権等の発生に関する主張について

(1) 前記四3(一)(1)の事実は否認する。

仮に本件債権1が存したとしても、原告は右債権を本件事業年度前の昭和六一年三月二八日に朝日商事に譲渡した。

(2) 同(2)中、八千代市の土地が原告名義にされ、その後原告から金幸商事へ名義が変更されたことは認めるが、その余の事実は否認する。

東和ハウスが八千代市の土地の所有権を取得したこと及び右土地につき原告のために抵当権が設定されたことはない。仮に右土地につき原告のために譲渡担保が設定されたとしても、昭和五六年一一月五日に売買を原因として原告から金幸商事に所有権移転登記がなされており、右売買は担保権の実行と見るべきであるから、これによって本件債権2は消滅した。なお原告は金幸商事への所有権移転登記は無断でなされたものであると主張するけれども、岡村邦枝(以下、「邦枝」という。)が原告代表者に就任後も、原告が本件債権2及びその担保権の保全のための措置を採っていないことは不合理である。

(3) 同(3)の事実は否認する。

本件債権3は、合計一億円であり、原告が本件事業年度の確定申告において貸倒損失として処理するまでに相当の期間が経過しているにもかかわらず、原告は、担保提供も求めず放置しており、また本件債権3は単一の契約によるものではないというのであるが、原告が個々の貸付契約成立の詳細を主張することができないのは、不合理である。

(4) 同(4)の事実は否認する。

東和ハウスが川口市の土地の所有権を取得したこと及び原告のために同土地を担保に提供したことはなく、また原告の主張によれば本件債権4の成立の状況は特異なものであるのに、北浜、東和ハウス及び吉田守克ら利害関係者相互の関係は全く不明であり、その上右土地の抵当権設定登記は平成元年一〇月二七日に錯誤を理由として抹消されていることからすれば、本件債権4が発生していないことは明らかである。

仮に、本件債権4が成立していたとしても、原告の北浜に対する債権は、昭和五七年一一月一七日に高野秀信へ譲渡された。したがって、原告の右債権は消滅した。

(5) 同(5)の事実は否認する。

右のとおり、本件債権1ないし4は、そもそも発生していないか、あるいは既に消滅しているから、これら債権の利息債権である本件債権5も存在しない。

(二) 原告は、本件各債権に関する金銭消費貸借契約書、会計帳簿その他の資料を証拠として提出しておらず、また原告代表者が邦枝に変更され、これに伴って株式が譲渡され、経営権が実質的にも移転したにもかかわらず、新代表者に対して帳簿や記録等の引き継ぎもなされていないもので、これら事実は、本件各債権の存在を否定するものである。

(三)(1) 原告は、左記のとおり少なくとも昭和五六年一二月から昭和六〇年一一月までの四事業年度について、事業活動を行っていない、いわゆる休眠会社又は倒産状態であった。

〈1〉 原告は昭和五五年一二月一日から昭和五六年一一月三〇日までの事業年度(以下、「昭和五六年一一月期」といい、他の年度についても同様に表示する。)の法人税の確定申告書を提出したが、その後昭和六〇年一一月期の法人税の確定申告書を提出するまでの三事業年度のついては法人税の確定申告書を提出していない。ところが、昭和六〇年一一月期の決算報告書には前期繰越利益五〇六四万九七四五円と記載され、昭和六一年一一月期の決算報告書の内容も同一であった。すなわち、右各事業年度とも収入金額及び支出金額の発生がなく、所得金額もないとするなど極めて異常な内容であった。

〈2〉 昭和五六年一一月期の決算報告書には当座預金がある旨の記載があるが、昭和六〇年一一月期の決算報告書では当座預金の記載はなく、預貯金としては普通預金口座に合計一万二一五五円の残額があるのみで、現金はない。そして、原処分の担当者及び異議審理の担当者による法人税調査の際に、昭和五六年一一月期ないし昭和六〇年一一月期までの五事業年度の収支状況及び資産負債等の移動内容について質問したが、原告は、右各事業年度に係る会計帳簿を提示せず、明確答弁もしなかった。

(2) そして、昭和五六年一一月期の決算報告書中の貸借対照表及び添付の「貸付金及び受取利息の内訳書」には、本件債権1及び2は、貸付金として計上されておらず、昭和六〇年一一月期の決算報告書中の貸借対照表には貸付金の計上はなく、右報告書添付の「受取手形の内訳書」には、同期末の受取手形として東和ハウスに対する一億七四五四万円が計上されている。

(3) 右(1)及び(2)の状況からすれば、原告が三億円を越える借入れをすることが可能であったとはいえず、また他から借入れをしてまで東和ハウスに貸し付けるのは不自然である。しかも、原告は、債権回収を図ることもなく、本件貸倒損失がなければ黒字となるべき本件事業年度になって初めて本件貸倒損失を計上している。

2  本件手数料支払について

本件手数料の発生の事情に関する前記四5(二)の事実中、昭和六一年一〇月二七日に熊谷組が本件建物を取得し、その当時鈴木らが本件建物を賃借していたこと、昭和六二年六月一五日に熊谷組と原告及び大永との間で本件業務請負契約が締結され、熊谷組は、原告らに同日一億三〇〇万円、同年八月二〇日に四億二七〇〇万円を支払い、原告はその内二億一〇〇〇万円を、大永が三億二〇〇〇万円を取得したことは認めるが、その余は争う。

(一) 原告及び大永と本件各土地との関わりについて

(1) 榎本及び日進堂が昭和六〇年ころ、一九九番四(昭和六〇年八月二日の分筆前のもの)及び一九九番五の土地を日建に譲渡する際、仮に宮清と大永との間で本件私道に関する問題、すなわち、右各土地の譲渡により本件私道の通行権が侵害されることになる宮清が右各土地の登記簿上の買主である岩崎米吉に対して内容証明郵便を送付したことに端を発する紛争が生じたとしても、右紛争は宮清と日建とがそれぞれ所有する土地を交換したことによって消滅したものであり、また、宮清は、本件私道について紛争が生じたとの認識はなく、大永及びその代表者の名前すら知らない。したがって、大永の名で本件南側土地を買い受けることを明らかにできない事情は存在しなかった。

本件南側土地の所有者であった宮清及び宮清と行動を共にしていた守屋は、大永も古金なる人物も知らない。

三菱建設は、本件北側土地、南側土地のいずれについても買収を計画したことはない。

以上のとおり、原告及び大永が本件各土地の買収に関与したとの原告主張には裏付けはなく、その主張は事実に反する。

(2) 本件建物の明渡交渉は、大永が遂行したものであり、原告は、その発行済株式数の九〇パーセントを大永の代表者の妻である岡枝とその長男である岡村康裕(以下、「康裕」という。)が等分に所有する同族会社であるところから、右明渡交渉の終結間際になって原告も形式上交渉の当事者となったものである。

(二) 本件業務請負契約に係る請負代金決定の経過について

右(一)のとおり、大永が直接あるいは間接に本件南側土地の買収を企画していたことはないから、熊谷組や宮清が右土地の売却に関し大永や室岡に対して協定違反行為を行ったことが本件業務請負契約における報酬額が高額になる原因となったとの原告の主張は、その前提を欠くものである。また、仮に右協定違反の行為があったとしても、その主張に照らすと、その責任を問われるべき者は宮清であることは明らかであって、大永が右協定違反の行為から生じた損害の賠償を熊谷組に対して請求しうる理由はない。むしろ、熊谷組との交渉を専ら行っていた大永が、その交渉に当たり、あたかも大半が鈴木らに支払われる立退料であるかのような態度で数億円を要求し、熊谷組としては、高額すぎると考えたが、早期に解決する必要があることから、その大半は立退料であると考え、大永に対する報酬等一切を含めた金額として五億三〇〇〇万円を了承したものである。

なお、本件委任状が作成された時にはまだ本件業務請負契約は締結されておらず、したがって本件業務請負契約の報酬金額は決まっていないから、右時点で鈴木が平等分配を約束したというのは不合理であり、また大永が本件明渡交渉に参加するに当たりリボン理容室の移転問題についての報酬を一切要求しないとの約束を鈴木ら及び星野と交わしたということと矛盾し、さらに、鈴木の受け取る金額を一億円とすること以外は立退料の分配について全く口出しをしていないとの証人鈴木の証言との整合しない。

(三) 星野の関与について

(1) 星野は、昭和六〇年当時の本件南側土地の所有者であった宮清や大沼光子、並びに本件明渡交渉の一方の当事者である熊谷組や三好商事の中村専務との交渉に全く関与していておらず、星野が本件委任状に受任者として原告を加えるように発案したこともない。そして、仮に星野が介在していたとすれば、鈴木との間で本件建物明渡交渉に関する約束を別途交わしている星野が、自分の取り分が減るようなことに同意した上、鈴木に対し原告らが本件建物の明渡交渉に参加することを了承するように説得することは、ありえないことである。

次に、周辺住民は、原告らが夜警をしていたことも、投光機による照明がされていたことも否定しており、原告らが本件建物の夜警を実施したことを裏付ける客観的な資料は存在しない。また、原告らが夜警を実施したという時期には、鈴木らがまだ本件建物に居住していたのであり、本件建物につき夜警をする必要は何らなかったのであって、星野が本件建物の夜警としたことはない。

(2) 星野は、住所を転々と変え、現在に至るまでその所在すらようとして知れず、配下に「若い者」を従えているような者であって、また鈴木と深い交際をしていたというのであるが、本件建物の明渡が完了後の鈴木の移転先である理容室さえ訪れなくなっており、鈴木もその職業や資格を明らかにできない。

(3) 原告が星野に支払ったという一億一〇〇〇万円が入金された埼玉銀行浦和東口支店の星野名義の普通預金口座(以下、「星野名義口座」という。)は、昭和六二年八月二〇日に開設されているところ、その普通預金申込書兼印鑑届に記載された同人の生年月日は誤っており、氏名住所等の筆跡は同人の昭和六二年分の所得税の確定申告書のそれと異なる。右一億一〇〇〇万円は昭和六二年八月二一日に振替処理により星野名義口座に入金され、同日同額が現金で出金されているが、右入出金に係る伝票の筆跡は、右普通預金申込書兼印鑑届及び右確定申告書における筆跡と異なる。また、右確定申告書の分離課税欄の記載も、星野が代表取締役をしている有限会社タツノ産業に係る取引を自己の所得としていること、登記簿上では星野が関与していない土地についての取引による所得を記載していること、公証人による認証を受けて念書を取り交わし自己が実質上の買主であることを明らかにした土地を譲渡したのに、所得欄にはその収入の記載がないこと等の不自然な点がある。

(4) これらの事情に基づけば、星野は、本件手数料の支払を受けておらず、いわゆる「かぶり屋」(他の納税者の架空の支払について確定申告をするなどしてあたかもそれを受け取ったかのように仮装して他の納税者の脱税的行為を助けながら、自分は当該確定申告に係る税金は納付しない者)といわざるをえない。

(四) 室岡の関与について

なお、東洋物療は、店舗や事務所もなく、設立以来商号や本店所在地を転々と変動させながら法人税の確定申告書を一度も提出していないなど営業実態の認められない法人であって、室岡ないし東洋物療は本件業務請負契約の履行に積極的な役割を果たしうる実体を備えていなかった。要するに、室岡は、原告と大永の依頼を受けて、本件明渡交渉に関与したと仮装するのに一役買っただけの存在であり、実質的には本件明渡交渉に全く関与していなかった。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等の目録に記載のとおりであるからこれを引用する。

理由

一1  成立に争いがない乙第一八号証によれば、原告は不動産の売買、仲介及び管理業務等を目的とする株式会社であることが認められる。

2  請求原因2ないし8の各事実は当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、同9の事実が認められる。

二  そこで、抗弁について検討する。

1  抗弁1(一)の事実(申告所得金額)は、当事者間に争いがない。

2  抗弁1(二)(本件貸倒損失)について

(一)  本件債権1について

原告が本件債権1を有していたとしても、原告が右債権を本件事業年度よりも前である昭和六一年三月二八日に朝日商事に譲渡したことは原告の自認するところであり、成立に争いのない甲第一一号証によれば、本件債権1の利息債権も右債権譲渡の対象に含まれていたと認められる。したがって、原告は、本件事業年度においては本件債権1及びその利息債権を有していなかったものであるから、本件事業年度に右債権について貸倒損失が生ずることはない。なお、原告は、本件債権1を一三〇〇万円で譲渡したから七〇〇〇万円との差額である五七〇〇万円が回収不能になったと主張するけれども、右差額は右債権の売却による差損であるから、これをもって右債権の回収不能額ということはできない。

(二)  本件債権2について

成立に争いのない甲第一三号証、乙第一六号証によれば、原告は、昭和五六年七月二五日ころ、東和ハウスに五〇〇〇万円を貸与し、同年八月一〇日に右貸金債権の譲渡担保として八千代市の土地の所有権を取得し、その移転登記を受けたことが認められる。

しかしながら、右乙第一六号証によれば、八千代市の土地について、同年一一月四日売買を原因として同月五日付けで原告から金幸商事に対して所有権移転登記がされたことが認められるので、本件債権2については、右土地の金幸商事への右売買により右譲渡担保権が実行され、これによって本件債権2は消滅したものというべきである。

もっとも、前掲甲第一三号証、成立に争いがない甲第一六号証の一、二、原告代表者本人尋問の結果によれば、八千代市の土地につき原告から金幸商事に対する所有権移転登記は、原告の実印が不知の間に使用されてなされたもので、そのため鈴木信司弁護士に着手金五〇万円を支払ってこれに関する訴訟手続を依頼したというのであるが、本件全証拠によっても誰が如何なる理由で原告に無断で右所有権移転登記を行ったのか、また如何なる経緯で原告の実印が冒用されたのか等の事情が全く不明であり、右甲第一三号証によれば、結局原告は右金幸商事への所有権移転登記に関しその抹消を求める訴訟を提起していないのであるから、これら事実に照らすと、甲第一三号証及び原告代表者本人尋問の結果中、金幸商事に対する右所有権移転登記は原告に無断でなされた旨の部分は採用することができない。

(三)  本件債権3について

(1) 原告は、本件債権3は数回にわたって貸し付けたものであると主張するが、個々の契約の成立日、弁済期、利息等の具体的な内容に関して何らの主張をしないところである。

ところで、前掲甲第一三号証中には、原告は、東和ハウスに対し一〇回以上に分けて合計一億円を貸し付けたとの部分がある。しかし、右記載部分は、原告代表者本人尋問の結果によれば、原告の代表取締役邦枝が、昭和五七年当時の原告の代表取締役であった都築から右のような概括的な説明を受けたというに過ぎなく、右甲第一三号証及び右尋問の結果によってもその内容の詳細は不明であり、そして、原告は、本件債権3に関する原告と東和ハウスとの間の契約書等の証拠書類は何ら提出せず、また本件債権3は一億円であるにもかかわらず、原告が右債権につき担保の設定を受けなかったことは、原告の自認するところである。次に、原告は、安雄等から合計八〇〇〇万円を借り入れ、これをも原資として東和ハウスに一億円を貸し付けたと主張するが、原告が他から右のように高額の借入れをしてまで多数回にわたり東和ハウスに貸付けをした理由ないし必要性、及び安雄等からの右借入れについての弁済期や利息等の内容、担保提供の有無、仮に担保を提供していないとすれば、それにもかかわらず安雄らが右高額の貸付に応じた理由等については、何ら明白な主張をせず、またこれら事実を認めるに足りる証拠もない。

そこで、右各事実に照らすと、原告の主張に添う甲第一三号証及び原告代表者本人尋問の結果の右各部分はその内容が具体性を欠くから、これによってはまだ本件債権3が発生したと認めることはできない。

(2) なお、前掲甲第一三号証、原告代表者本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第一二号証の一ないし七、並びに右尋問の結果によれば、原告は、昭和五七年四月一九日から同年六月九日までの間に七回にわたり東和ハウスもしくはその指示した株式会社大日光等に合計三五三五万円を送金したことが認められるけれども、右のとおりその金額は三五三五万円にすぎず、右送金の時期も昭和五七年四月一九日から同年六月九日にわたっているので、これら事実と右(1)の事実に照らすと、右送金の事実から直ちに本件債権3の発生を認めることはできず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

(四)  本件債権4について

成立に争いのない甲第一五号証、乙第一七号証の一ないし三によれば、原告は、昭和五七年三月九日、北浜に対し二〇〇〇万を貸し付け、同年六月二八日に右債権を担保するため吉田喜代志の所有であった川口市の土地につき抵当権を設定し、翌二九日に抵当権設定仮登記を経由し、同年一一月一七日に高野秀信に右債権を譲渡し、翌一八日に右仮登記抵当権移転の仮登記がされたこと、もっとも、昭和六〇年に吉田喜代志が原告、右高野等に対し右仮登記の抹消等を求める訴えを浦和地方裁判所に提起し、平成元年四月二六日に右吉田の訴えを認容する判決がなされ、右各仮登記は、同年一〇月二七日に錯誤を原因として抹消されたことが認められる。もっとも、右各仮登記が抹消された後の原告と高野並びに北浜との関係がどのようになったかは、本件全証拠によっても、明らかでない。

ところで、前掲甲第一三号証には、原告は、昭和五七年三月九日ころ、東和ハウスとの間で、原告が北浜に二〇〇〇万円を送金し、これを東和ハウスの借入債務とすることに合意した旨の、また成立に争いがない甲第一号証には、東和ハウスの代表取締役である松本利男は、国税不服審判所に対し、東和ハウスは、原告に北浜に対して二〇〇〇万を送金させ、後日これを東和ハウスの借入金とすることを了解したと答述した旨の記載がある。しかしながら、仮に原告が北浜に二〇〇〇万を貸与したのは東和ハウスの斡旋等によるとしても、本件証拠上、東和ハウスが原告の右のような高額の借入債務を負担することを了解した理由は不明であり(原告は、北浜に二〇〇〇万を貸与した時点においては、前記のように川口市の土地に抵当権の設定を受けたことになっていた。)、また原告は、右のように東和ハウスも債権を負担することを承諾したことに関する書面を証拠として提出しない。そこで、このような事実に照らすと、東和ハウスも右二〇〇〇万につき債務を負担することを承諾した旨の右甲第一号証及び第一三証の記載部分は俄に採用することができず、他に東和ハウスが右債務の負担を承諾したことを認めるに足りる証拠はない。

(五)  本件債権5について

以上のとおり、本件事業年度には本件債権1ないし4は存在しなかったのであるから、その利息債権である本件債権5も存在しなかったことは、明らかである。

(六)  なお、成立に争いがない甲第九号証によれば、原告は、浦和地方裁判所に対し、東和ハウスを被告として、昭和五七年六月一七日に弁済期及び利息の定めなく三億二四五四万円を貸与したことを理由として、右同額の支払を求める訴訟を提起し、昭和六二年一一月一九日に請求を認容する判決が言い渡されたことが認められる。しかし、右請求原因は本訴における原告の主張と異なるばかりか、右甲第九号証によれば、右判決はいわゆる欠席裁判であることが認められるから、右判決によって本件各債権の存在を認めることはできない。

成立に争いがない甲第一〇号証の一、二によれば、原告は、本件手形を所持していることが認められる。しかし、右甲第一〇号証の二によれば、本件手形は、停止処分済・取引なしとの理由で不渡りになっており、またその額面は三億二四五四万円であって、前掲甲第一三号証によって認められる、原告の東和ハウスに対する債権額は二億三一五四万円であるとの原告の主張とも齟齬するから、これら事実に照らすと、本件手形の額面金額は、果たして東和ハウスの意思に基づいて記載されたものかどうか、或いは原告の東和ハウスに対する貸金債権を対象をしたものかについて疑問があるというべきである。したがって、本件手形をもって、本件債権を認定することはできない。

なお甲第四号証の二には、原告は、東和ハウスに対し貸金残金一億七四五四万円の債権を有する旨の記載があるが、右記載部分は、右(一)ないし(五)に認定の事実に照らして採用することができない。

以上のとおり、本件事業年度において、本件各貸金債権は存在しなかったのであるから、本件貸倒損失の発生も認められない。

3  抗弁1(三)(本件手数料の支払)について

(一)  熊谷組が昭和六一年一〇月二七日に本件建物を取得し、その当時鈴木らが本件建物を賃借していたこと、昭和六二年六月一五日に熊谷組と原告及び大永との間で本件業務請負契約が締結されたこと、原告及び大永は、本件業務請負契約に基づき、熊谷組から、同日一億三〇〇万円、同年八月二〇日に四億二七〇〇万円の支払を受け、原告はそのうち二億一〇〇〇万円を、大永が三億二〇〇〇万円をそれぞれ取得したことは、当事者間に争いがない。

(二)  本件業務請負契約に関する星野、東洋物療、室岡の関与の有無、並びに熊谷組からの受領金の配分についての合意の有無について

(1) 成立に争いがない甲第二四号証の四ないし六、八、第三一号証、第三三号証の一、二、乙第三九号証、官署作成部分は成立につき争いがなく、その余の部分は右甲第三三号証の一と弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第一八号証の四、右甲第三三号証の一と弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第二〇及び第二二号証によれば、左記の事実が認められる。

本件各土地及びその地上建物はもと寺田義光の所有であったが、同人が昭和五〇年に死亡し、六名の相続人がこれを相続し、一九九番四(昭和六〇年八月二日の分筆前)の土地上の建物の賃借人であった榎本と一九九番五の土地上の建物の賃借人であった日進堂は、昭和五九年六月二五日に右土地及び建物を相続した長島静江からそれぞれ賃借建物とその敷地を買い受け、昭和六〇年二月一九日、大永が仲介人となって、右一九九番四と一九九番五の各土地が日建に売却されたが、日建に対する所有権移転登記手続はなされなかった。同年四月四日ころ、宮清は、内容証明郵便により、一九九番四と一九九番五の各土地につき所有権移転登記請求権仮登記を経由していた岩崎米吉に対し、本件私道につき通行権を有するからこれを侵害しないようにされたい旨を申し入れ、そこで、同年七月二九日、日建と宮清は、その地上の建物を含め一九九番四の土地の一部と一九九番六の土地を交換し、同年八月二日、交換された一九九番四の土地の一部は一九九番八の土地として分筆登記された。

(2) 前掲甲第二四号証の八、第三一号証、第三三号証の一、二、官署作成部分は成立につき争いがなく、その余の部分は弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第四二ないし第四四号証、成立に争いがない甲第二四号証の一ないし三、第二五号証の一ないし四、第二六号証の一ないし六、第二七号証、乙第四一号証によれば、次の事実が認められる。

宮清は、昭和五九年一〇月九日に二〇〇番一、二、一九九番一の各土地とその地上建物を、昭和六〇年四月二四日に二〇〇番三、四の各土地とその地上建物を、同年七月二九日に一九九番八の土地を取得し、また一九九番三の土地の借地権とその地上建物の借家権、一九九番二の土地の一部についての借地権を取得し、昭和六一年一〇月二七日、右不動産及び権利を熊谷組に売却し、右守屋は、昭和六一年三月六日に二〇〇番四の土地上の建物の借家権並びに同土地の一部についての借地権とその地上建物を青山英一から取得し、同年一〇月に大沼光子から一九九番二及び三の各土地とその地上建物を取得し、同年二七日に右各不動産を熊谷組に売却したこと、熊谷組は、同日一九九番四(昭和六〇年八月二日分筆後のもの)ないし七の各土地も取得し、結局これら土地一帯の約一一八四、一一平方メートルを取得した。

(3) ところで、前掲甲第二〇号証、第二二号証、第三三号の一、二、成立に争いがない甲第三四号証、乙第四号証、右甲第三三号証の一と弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第二一号証の三、官署作成部分はその方式及び趣旨により公務員が作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべく、その余の部分は右甲第三三号証の一と弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一八号証の三によれば、以下の事実が認められるが如くである。

〈1〉 本件各土地の買収を巡り、宮清、守谷のグループと、日進堂、榎本、大永及びその代表取締役である安雄のグループが対立しており、特に本件私道の通行に関し大永と宮清が衝突していた。そこで、三菱建設から本件南側土地約六六〇平方メートル(二〇〇坪)以上をビル用地として買収するように依頼を受けた室岡は、対立する宮清と交渉できないので、昭和六〇年一〇月ころ古金に右買収につき協力を依頼し、そこで古金は、宮清から交渉を依頼されていた日光商事株式会社の代表者小川満寿夫と買い取りの交渉を行ったところ、昭和六一年一〇月ころ、古金と宮清との間で、他からの売買代金の申出が同一なら古金の方に売却し、他の申し込みの方が高いときは、古金にも検討の機会を与えるという合意に近いものができた。しかし、宮清は右合意に反してその所有土地等を熊谷組に売却した。

〈2〉 星野は、昭和五八年ころからリボン理容室、日邦、鈴木に出入りし、日邦の不動産部門の相談役をしていた。そして、熊谷組が浦和駅東口の土地を取得したころ、大永は、室岡の助言により、浦和市長に宛て、熊谷組が本件各土地につき建築確認を申請した場合、これに本件私道を含んでいるときは異議を述べる旨の内容証明郵便を送付し、更に室岡は、熊谷組に対して立退補償料を、宮清に対して違約補償料を請求して交渉するためには鈴木らと連合するように提案した。すると、星野もこれを了承し、同人が鈴木に熊谷組との交渉を大永に委任するように勧めたため、リボン理容室、日邦、鈴木は大永に熊谷組との交渉を委任することとし、昭和六一年一一月二九日に大永にその旨の委任状を交付した。このように大永が鈴木と融和できたことにより、熊谷組との交渉において大永を有利な立場にした。その際原告、大永、東洋物療及び星野は、報酬を平等に分配することを約し、その後も大永は、熊谷組との交渉について星野と協議をした。

〈3〉 昭和六一年一〇月末ころ、熊谷組は本件各土地に存し空き家となった一〇店舗の建物を次々と壊し、そのためいわば薪の山がかなりの間続いたところ、リボン理容室は賃借家屋であるため火災等により滅失すれば、鈴木らには何らの権利も残らないので、同年末ころから約九か月間、原告、大永、東洋物療、星野が交代で午後一〇時から午前二時ころまでリボン理容室の夜警を行い、その際番犬を用い、表通り以外の三方に投光器を設置するとともに、堀と木戸も設置し、消火器を全部で七個位備置した。

〈4〉 昭和六二年四月に原告が宅地建物取引業者の免許を取得すると、星野は、本件委任状の受任者欄に原告を追記させ、このようにバランスを考えた和合策を指導した。

〈5〉 同年六月一五日に安雄、原告の代表者、星野、室岡、鈴木が鈴木方で会合し、熊谷組から支払を受けた金銭の配分につき協議し、原告、大永、東洋物療、星野、鈴木に各一億円宛分配し、鈴木に二〇〇〇万円を配分しようとしたが同人が固辞したので、昭和五八年以来長年鈴木に協力した星野に一〇〇〇万円、古金に諸経費として一〇〇〇万円を配分することとした。

(4) しかしながら、他方において、以下の事実が認められる。

〈1〉 官署作成部分は成立につき争いがなく、その余の部分は弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第四七号証によれば、三菱建設は、昭和六一年二月から平成四年四月一五日までの間において、本件南側土地の買収に関しその取り纏め等を何人にも依頼したことはないこと。

〈2〉 前掲乙第四二及び第四三号証によれば、宮清の役員であった宮田清治(以下、「宮田」という。)及び守屋は、本件私道の通行に関して紛争があったとは思っておらず、宮田は、榎本及び日進堂が本件私道の問題を持ち出したのは、土地を有利に売却するための口実であると解していたこと、宮田及び守屋は、大永、安雄、古金、室岡、東洋物療と会ったことはなく、したがって面識もないこと。

〈3〉 前掲乙第四四号証によれば、青山英一に対してその借地権等の売却や立ち退きを求めて交渉したのは宮清、守屋及び有限会社コモン企画の常務取締役林康治であり、青山は原告及び大永については知らないこと。

〈4〉 前掲甲第三四号証によれば、鈴木は、その賃借建物の底地の所有者であった大沼光子とは、直接交渉しており、星野に右交渉を依頼したことはなく、安雄とは、リボン理容室の客として面識があったが、同人や大永と対立関係にあったことはなく、原告、大永、東洋物療、星野の間の報酬の配分の話合いには関わっていないこと。また、右甲第三四号証によっても、星野が熊谷組との交渉において特に何らかの役割を果したとは認められないこと。むしろ、前掲甲第三四号証、成立に争いがない乙第九号証によれば、鈴木と都築は、昭和六一年五月五日、都築がリボン理容室周辺の土地等買収の状況につき情報を収集して鈴木に提供し、鈴木は将来リボン理容室に関して問題が生じたときは、都築を起用する旨合意し、もっとも都築が右合意に基づき鈴木に如何なる情報を提供したかは明確でないこと。

〈5〉 前掲乙第四号証、官署作成部分はその方式及び趣旨により公務員が作成したもと認められるから真正な公文書と推定すべく、その余の部分は弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一ないし第三号証によれば、昭和六一年一〇月に熊谷組から本件建物の明渡し交渉の委託を受けた有限会社コモン企画の常務取締役林康治が交渉を行った相手は安雄だけであり、交渉の過程で原告の関係者と会ったことはなく、鈴木からも大永以外の者の名前を聞いたことがなく、その後同年一一月に熊谷組から本件建物の明渡交渉の委託を受けた三好商事株式会社の専務取締役中村久彌が交渉を行った相手も岡村だけであり、交渉成立後に協和不動産の名前を聞いたことはあるが、星野や室岡については全く知らず、熊谷組において本件建物の明渡業務を担当していた同社北関東支店の高瀬弥重も明渡し交渉の相手方としては安雄の氏名しか報告を受けておらず、高瀬は、昭和六二年二月中旬ころ、右中村から大永が立退料として七億五ないし六〇〇〇万円を要求したとの報告を受けて、大幅な減額を要求し、結局同年四月下旬ころ、右中村から立退料は五億三〇〇〇万円以下にはならない旨の報告を受け、右金額は高額に過ぎると考えたが、早期に解決する必要があったので、その大半は立退料であると考えて社内の稟議に付し、同年五月二一日、熊谷組は大永に対する報酬等一切を含めて五億三〇〇〇万円で契約の締結に応ずる決定をしたこと、そして鈴木らが大永に対し昭和六一年一〇月三〇日付けで交付した前記委任状には、本件業務請負契約の締結前に至り受任者として原告が追加されたこと。

〈6〉 前掲甲第三三号証の一、二及び成立に争いがない乙第四五及び第四六号証によれば、本件北側土地上の建物は昭和六〇年一〇月二三日に取り壊されて整地され、本件南側土地上の建物のうち一九九番一、二〇〇番一ないし四の各土地の上の建物部分は、熊谷組が本件各土地を取得した昭和六一年一〇月二七日ころには取り壊されて、右土地はほぼ整地されており、本件各土地上には本件建物と一九九番三の土地上の建物が残っているだけであり、本件建物は本件各土地のほぼ中央東側に道路に面して位置していたこと、及び本件各土地の南側の道路を隔てて存するスミレヤ紙文房具店の者、及び本件各土地の北側に一軒を隔てて存する霜田洋傘店の者やその西側に住んでいた小林茂一の妻は、昭和六二年当時に本件各土地において柵が設置されたり、夜警がされていたことを否定していること。

〈7〉 前掲甲第三四号証によれば、鈴木は、星野から本件委任状に原告を追記するように言われたことはないこと。

〈8〉 前掲乙第一八号証、成立に争いのない乙第七号証、原告代表者本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、原告は債務に追われて営業ができない状態であったため、昭和六二年三月に代表取締役が都築から邦枝に替わり、その際原告の発行済株式総数一万株のうち邦枝が四五〇〇株、康裕が四五〇〇株、都築が四〇〇株、金子二重が三〇〇株を有することとなったところ、邦枝は安雄の妻、康裕と金子二重は同人らの子であること。

〈9〉 成立に争いがない乙第四八号証によれば、室岡は、昭和六二年六月一三日から同年同月一九日までは出国していたこと。

(5) そうすると、本件業務請負契約の当事者は、そもそも原告と大永だけであり、星野、東洋物療或いは室岡は右契約の当事者ではなく、そして三菱建設は室岡に本件土地南側の買収を依頼したことはないから、室岡が三菱建設から土地の買収の依頼を受けたということはできず、本件私道についても特段紛争があった訳ではなく、土地の交換によって円満に解決しており、宮田は榎本や日進堂が本件私道の問題を持ち出したのは土地を有利に売却するための口実であると解していたものであり、また熊谷組と交渉をしたのは大永だけであり、さらに熊谷組が本件各土地を取得した後その夜警をする必要があったとはいえず、近隣の住民は夜警がされていたことを否定している。そして、星野は鈴木に対し熊谷組との交渉を大永に委任するように助言したが、鈴木は安雄や大永と別段対立関係にあったものでないから、右助言が大永や原告にとって重要な意義があったとはいえず、また星野はバランスを取るため本件委任状に原告を追記させたというのであるが、昭和六二年三月には原告の代表取締役に安雄の妻である邦枝が就任し、その発行済株式の九〇パーセント以上を安雄の妻と子が所有していたのであるから、原告が本件委任状の受任者に加わったのは、原告が大永の代表取締役である安雄の同族会社であることに基づくものと推認するのが合理的であり、実際にも鈴木は星野から原告を追記する旨を聞いていないのであるから、星野が本件委任状に原告を追記されたと認めることはできない。星野は、前記のような助言をした以上に熊谷組との交渉につき何らかの役割を果たしたものではなく、本件建物の底地の前所有者であった大沼との交渉は、鈴木が自ら行ったものであり、また東洋物療も鈴木らと熊谷組との交渉に特段寄与したということはできない。したがって、このような事実に照らすと、原告が星野に一億一〇〇〇万円の高度な報酬を支払うべき合理的理由があったと認めることは到底できない。そして、そもそも熊谷組から支払を受けた金額の配分については、その金額が高額であるにもかかわらず、原告、大永、東洋物療、星野、鈴木の間で何ら配分の合意に関する書面は作成されておらず、むしろ右配分につき合意をしたという昭和六二年六月一五日には室岡は国外に居たものである。そこで、以上の事実に照らすと、右(3)の、原告、大永、東洋物療、星野及び鈴木が、右同日、熊谷組から受けた金銭につき分配の合意をしたとの部分は俄かに採用することができない。なお、甲第一九号証、第三二号証には、協定書と題し、原告、大永及び東洋物療名義の各記名押印があり、右三社が昭和六二年六月二〇日に熊谷組から受けた金銭の配分を大永に一任する旨合意したとの記載があるところ、右認定の事実に基づけば、右甲第一九号証、第三二号証の東洋物療の作成名義部分はその成立に疑問があるばかりか、右内容は、熊谷組からの受領金の配分は関係者で協議して決定したとの原告の主張に反するものである。

(三)  星野に対する手数料の支払の有無について

(1) 甲第五号証には、領収書と題し、昭和六二年八月二一日に原告から業務請負代金配当金として一億一〇〇〇万円を受領した旨の記載があり、星野の氏名の記載がなされ、その横に同名義の押印がある。

(2) しかしながら

〈1〉 成立に争いのない甲第六号証の一ないし五、第七号証の一ないし三、乙第一一号証、並びに弁論の全趣旨によれば、昭和六三年三月一四日に星野名義の昭和六二年分の所得税の確定申告書が税務署に提出されているが、その総合課税の所得は原告が本件手数料と主張する金額と同額の一億一〇〇〇万円のみであり、その種類は雑収入とされており、また右確定申告書の分離課税欄には、星野が代表取締役をしている有限会社タツノ産業が行った浦和市大字中尾字駒前八六五番三の土地の売買取引による収入及び登記簿上星野の所有名義でない同市大谷場一丁目三三番一外の土地の売買による収入が所得として計上されており、他方星野が買い受けて転売した同市大字大谷口字細野九七八番三、同所九七八番四及び同所九七八番一一の各土地の売却代金については、右確定申告書に所得としての記載がなく、そして右確定申告書おける申告納税額は納付されていないことが認められる。

〈2〉 前掲甲第五号証、乙第一一号証、成立に争いがない乙第一〇号証、第一二ないし第一四号証によれば、昭和六二年八月二一日に埼玉銀行の星野名義の普通預金口座に入金された一億一〇〇〇万円は同日中にその全額が引き出されており、右預金口座はその前日に開設されたものであり、右普通預金申込書兼印鑑届と前記同人名義の昭和六二年分の所得税の確定申告書とは、星野の氏名、住所の筆跡が異なるばかりか、その生年月日も同一ではなく、また星野名義の前記領収書(甲第五号証)の星野名義の印影は右普通預金申込書兼印鑑届及び右一億一〇〇〇万円の払戻請求書の印影と同じであるが、右各書面の星野の氏名の筆跡は異なることが認められる。

〈3〉 前掲甲第一号証によれば、星野は、昭和三五年四月二六日に浦和市太田窪二丁目二番三号に、昭和五七年九月四日に大宮市丸ケ崎町九番地の三二に、昭和六二年二月二三日に浦和市南浦和三丁目四〇番一五号に、昭和六三年六月二二日に東京都台東区浅草四丁目一番一一号秋元ビル三〇一号に順次住民登録をしているが、右大宮市の住民登録は昭和六一年九月一九日付けで、東京都台東区の住民登録は平成元年一二月一一日付けでそれぞれ居住の事実がないとして職権で抹消されていることが、また前掲甲第三四号証によれば、星野の職業や資格は詳らかでなく、同人は本件建物明渡の終了後は本件建物の道路を隔てて交差点の向かい側の移転した鈴木の理容室を訪れなくなり、現在に至るまでその所在が知れないことが認められる。

〈4〉 そこで、右〈1〉ないし〈3〉の事実に照らすと、星野名義の昭和六二年分の所得税の確定申告書並びに星野名義の前記預金口座の開設及びこれへの入出金は、不自然あるいは不合理な点が多々あって、果たして星野の意思に基づくものかは疑問があるというべきである。したがって、右事実と前記3(二)の事実に照らすと、甲第五号証は星野が作成したものと認めるには合理的な疑問があるものといわなければならず、他に原告が星野に一億一〇〇〇万円を支払ったと認めるに足りる証拠はない。

4  本件課税処分の適法性について

(一)  したがって、原告の本件事業年度分の所得金額は、申告所得額(欠損八九四二万八一三三円)に本件貸倒損失と同額の一億七四五四万円及び本件手数料額と同額の一億一〇〇〇万円を加えた一億九五一一万一八七六円であり、右金額は本件更正処分において認定された所得金額と同額である。

よって、本件更正処分は適法である。

(二)  また、前記一及び二1及び2によれば、原告は、存在しない本件貸金債権等を存在していると仮装して貸倒損失一億七四五四万円を計上し、これに基づいて本件確定申告書を被告に対し提出したと認められるから、原告は真実の所得金額を知りながら、故意に著しく過少な金額を所得金額として申告したというべきである。したがって、原告は、これについての重加算税を納付すべきところ、その金額は、本件更正処分によって新たに納付すべきこととなった法人税額のうち本件貸倒損失に係る部分の税額七三三〇万円(一万円未満切り捨て)に、一〇〇分の三五を乗じた二五六五万五〇〇〇円となる。したがって、本件賦課決定処分(平成元年一二月二六日付け決定により変更された後のもの)は、適法である。

三  よって、原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大喜多啓光 裁判官 髙橋祥子 裁判官中川正充は、転補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 大喜多啓光)

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